スーパーカブC125に乗って
東大阪市にある
石切劔箭神社
(いしきりつるぎや神社)へ
行ってみました。

 

石切劔箭神社はどんな神社?

地元や近辺地域では
石切神社、石切さんと呼ばれ
とても馴染まれている神社です。

また、でんぼ
(関西弁で腫れもの、できもの)
の神様とも呼ばれていて
皮膚にできるイボやおできをはじめ
体の内側のできものである
ガンでさえ治してもらえると
信じられています。

 

そのため石切劔箭神社には
祈願成就(厄病退散)のため
お百度参りをする人が絶えません。

普通お百度参りはひっそりと
行うものですが
石切劔箭神社では朝から
数十人がお百度石を
ぐるぐる回っていました。

 

ご祭神 饒速日尊・美真手命とは

石切劔箭神社の御祭神は
饒速日尊(ニギヤハヒノミコト)

『饒速日尊』は
飛鳥時代の大豪族
『物部氏』の先祖とされ、
天皇家の先祖であるとされる
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)とは
別に天から降臨していた
天孫(天照大御神の孫)
とされています。

 

美真手命(ウマシマデノミコト)は
饒速日尊の御子であり、
一時は同じ天孫である瓊瓊杵尊のひ孫
神武天皇と戦いになりましたが、
後に大和地方の統一に協力します。

この石切神社は
美真手命が神武天皇即位の翌年
生まれ育った地に饒速日尊を
祀った神社なんだそうです。

 

私が生まれ育ったのは
石切神社のある
東大阪市に隣接している
八尾市という物部氏の史跡が
多く残されている場所なので
私から見ても饒速日尊は
遠い遠いご先祖様に
あたるのかもしれません。

またこの辺り(河内)の
人たちが石切神社を
「石切さん」と
親しみをこめて呼ぶのも
饒速日尊の子孫だから
かもしれませんね。

 

『でんぼ』は伝法?

初めにも書きましたが
石切神社は腫物を治してくれる
でんぼの神さんと呼ばれます。

現在石切神社では
物部氏の最有力氏族であった
穂積氏(現在は木積氏)が
代々祭祀を務めています。

この穂積氏(木積氏)に伝わる秘法
(禁厭(きんえん)・呪術)
すなわち『伝法』という言葉に
由来したのではないかとも
言われているようです。

▲本殿の裏にある穂積殿

 

三つある鳥居

石切神社には
三つの鳥居があります。

まずは一ノ鳥居
大きな鳥居で
車で通ることができます。

 

一ノ鳥居から進み
信号をはさんで
二ノ鳥居が現れます。

一ノ鳥居と同じ形状で
夜にはライトアップ
されているようです。

 

二ノ鳥居をくぐると
左に駐車場、
右に駐輪場があります。

 

駐輪場は奥側のイラストが
バイクになっていました。

まぁ、みんな自由にとめてます。

 

階段を上がると絵馬殿

 

さらに進んで
もう一本道をはさんで
三ノ鳥居にたどりつきます。

三ノ鳥居をくぐれば
すぐに本殿です。

 

三ノ鳥居前の道は
商店街へと続いていて
買い物をされていく方も
多いようです。

 

石切神社の摂社

石切神社の摂社も
お参りしていきましょう。

 

水神社

三ノ鳥居のすぐそばにある
水神社には

罔象女神(ミツハノメノカミ)
天水分神(アメノミクマリノカミ)

という水の神様
二柱をお祀りしています。

 

お社の周りは池になっており、
亀さんが甲羅干ししていました。

亀は長寿ということもあり
ありがたい感じがしますね。

 

五社明神社と神武社

明神(みょうじん)は、
日本の神仏習合における
仏教的な神様の呼び方で
私はあまり好きではありません。

 

五社明神社に祀られるのは
恵比須大神(おそらく事代主?)、
大国主大神、住吉大神、
稲荷大神、八幡大神
という人気ランキング
ベスト5みたいな
神様ラインナップ。

まぁ摂社は離れた場所から
拝むためのお社なので
人気ランキングになりがちですが
正直由縁があまり感じられません。

対して隣接するのは
バチバチ由縁アリの
神武天皇を祀るお社です。

昨日の敵は
明日の友です。

 

遥拝所(ようはいじょ)

遥かな場所の神様を
拝むための場所です。

汎用性が高いですね。

 

とまぁ摂社には
仏教色やざっくり感がありますが
河内の人々や
物部氏に由縁のある人たちに
とってはぜひ一度は足を運んでほしい
石切劔箭神社でした。

石切劔箭神社 公式HP
https://www.ishikiri.or.jp/